2011年05月08日

三題噺「味噌」「ダイエット」「秋」

三題噺「味噌」「ダイエット」「秋」

 夕暮れの淡い光が、窓から差し込んでいる。遠くで焼き芋売りのトラックの声がする。ふと、視線をあげると、窓の外ではひらり、と一枚の枯れ葉が散った。
「・・・もう、こんな季節ですか」
 私は、手にしていたノートを広げた。そこには、数々のレシピが書かれている。どれもこれも、あの人が私に残してくれた大切な思い出だ。
「まさか、私より貴方が先に逝くとは思いませんでしたよ」
 写真立てに収められた一枚に、にこやかに笑うあの人が写っている。それを一瞥してから、ノートを手にしたまま、扉を開けた。
 もう習慣になってしまった。あの人のノートを片手に、台所にたつのが。どんな本よりも、私のことを考えて、書かれたこのノートは、どんな本よりも役に立つのだから。


 私が、診断を受けたのは、五年前。あの時も窓の外で、枯れ葉が舞っていた。
「この人は、助かるのでしょうか?」
「このままでは、死んでしまうのでしょうか?」
 医師からの厳重注意を受けて、私自身より狼狽えた妻は、鞄から手帳を取り出し、医師の語る言葉を一言も漏らさぬよう、記していく。
 私といえば、自覚していなかった腹のたるみをただ摘むだけだった。
 その日から、彼女は私の食生活を厳しく監視するようになった。今まで自由にしていた分の反動が来たように。まず、食堂で取っていた食事を、弁当持参へと変更させられた。それは、健康を考えたメニューで構成されており、脂っこいものが大好きだった私には、非常に物足りないものだった。
 また帰宅すると、彼女は玄関で待ちかまえていて、私の着替えが終わり次第、ウォーキングへと連れ出すようになった。彼女はダイエットをする必要のない身体だったが、健康のためと言って私につき合ってくれていたが、当時の私にはとても煩わしく感じるしかなかった。

 そんな生活にも慣れてきて、一年。私の腹も少しは引き締まり、血圧も正常に近づいた頃だった。
 無理矢理連れてこられたスーパーで綺麗な秋鮭を見かけた。
「・・・鮭の塩焼き、食べたいな」
 鮭に限らず、塩焼きはとんと無縁だった。塩をまぶして焼いているにも関わらず、それに加えて醤油をかける私を妻は以前から苦々しく感じていたのだろう。あの医師の宣告以来、食卓に塩焼きが上がることはなかった。
 そんな私の呟きを聞いていたのか、妻はそっと笑った。
「今日だけは特別ですよ」
 彼女の手は、二切れの生鮭が入ったパックを掴んだ。

 思えばその日から、食卓は一見宣告以前と変わらない食事が上がるようになった。
 私は単純に喜んでいたが、彼女の協力があってのことだと今は分かる。
 彼女がつけていたレシピノートには、細かくカロリーと塩分の計算が書かれていたからだ。
 そう思えば、一度文句を付けてしまったことがあった。「味噌汁の味が薄い」と。
 その時も彼女は困ったように笑って、仕方ないんですよ、と言っていた。何が仕方がないんだと思っていたが。


 今私もそのレシピに従って、汁に溶かす味噌を量る。今日のメニューは、あの日と同じ鮭の塩焼きだ。
 あんなに私の健康に苦心してくれていた彼女は、驚くほど突然に、逝ってしまった。
 もう私の食生活を管理する人は、いない。好き勝手に食事しても誰も怒らない。
 だけど、あの数年を、私の健康のために、動いてくれたあの人に、申し訳なくて。

 私は今日も彼女のレシピを元に、食事をしている。

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posted by 藤原湾 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 文庫◎題目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月05日

40/40 贈り物

音を立てた扉付きのポストを振り返った。リボンがかかった小さな箱が見える。私は急いで駆け寄りそれをとる前に扉を開けた。彼が笑っていた。
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posted by 藤原湾 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 文庫◎題目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

39/40 欲

手から伝わる柔らかさは私の意識を繋ぎ止めていた。目が離せない。ここまで感じるのは正に運命でないの。決めた、と呟き、レジへ向かった。
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38/40 別れ

耳元で鞄の落ちる音がした。床を叩くスリッパが向かってくる。何か叫んでる。それでも私は左手から流れる赤を焼きつけながら、瞼を閉じた。続きを読む
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2011年05月03日

三題噺「北」「みかん」「祭壇」

「お前の所ってさ、ずっと飾ってあるんだって?」
 ヤスリで木の飾りを整えている兄弟子が突然聞いてきた。俺の手にも同じものがある。
「へ?」
「ほら、あれだよ。鏡餅」
「……鏡餅は、ずっと飾っておきませんよ」
「え、本当かよ!?」
 俺の返答に、彼はかみつくように顔を上げた。手を止めず。
「ちょっ、何危ない事してるんですか! 親方に怒られますよ!!」
 あぁすまんと生返事が返ってきた。
「で、話は戻るけどさ、違うの?」
「違いますよ。ちゃんと鏡開きしますって」
 兄弟子は今度こそ手を止めてから、こっちを見た。
「でもさ、ほらあれ……みかん? ずっと置いておくんだろ?」
「何勘違いしているのか知りませんが、仮にも宮大工が”みかん”と”だいだい”、間違えるのやめてくれませんか」
 見た目みかんだろ、と引き下がらない彼に、小さくため息をついた。
「でも言いたいこと分かりましたよ。あれでしょあれ――しめ縄」
「そうそう、それそれ。ずっと飾ってるんだっけ?」
 確かにそうですけど、と言いよどむ。目に浮かぶ実家の玄関。一部改築したものの、引き戸のままの真新しい戸口の上に、だいだいと『蘇民将来子孫家門』と書かれた札が添えられたしめ縄が飾られているのを思い出す。思わず唇をかんだ。家のことは、考えたくない。
「どうした? 気分が悪いのか」
「大丈夫です。それより、そんな話題止めて、違う話しましょうよ」
「何でだよ。俺は、しめ縄の謎を聞きたいぞ。何で、ずっと飾ってるんだ?」
 無邪気すぎる声音が俺をイライラさせてくる。だけど。
「まぁ、俺も酔っぱらったジジイから聞いた話だから、あってるかどうか分からないけど」
 前置きはとりあえず、しておくに越したことはない。いつだって、この兄弟子は思いこみが激しいのだから。
「スサノオ命が夕暮れに泊まるところがなくて、探していた時に、蘇民さんっていう方がもてなしたそうなんですよ」
「へぇ、その蘇民ってのは、良い奴だな」
「確かに。まぁ、それでそのお礼として、お前の子孫は疫病から救ってやるぞ、と言い残した訳です」
「蘇民が?」
「スサノオ命が!」
 主語がなかった俺も俺だけど、なんで蘇民が言うんだよ。
「んで、魔除けとしてしめ縄に『蘇民将来子孫家門』って書いた札を下げて、一年中飾ってあるんですよ」
「なるほどなぁ」
「ちなみに、あの地方の人間は、蘇民の精神を受け継いで、おもてなし精神にあふれていると言います」
 と言ったところで、笑みを浮かべる兄弟子が良からぬことを言い出しそうな表情であることに気がついた。
 やばい、逃げなきゃ。そう思って、手にしていた飾りをそのままに、きびすを返そうとしたが。
「じゃあさー、そのおもてなし精神で、俺らを招待してくれよ、お前の家に」
「……は?」
「いやーお前の家って代々伊勢神宮の宮大工なんだろ? 一回会ってみたかったんだよねー」
「えっと、何で」
 確かにそうだ。それがイヤで、俺は家を飛び出した。腕を磨く修行も何も嫌だった。道を決められているのが嫌だった。だけど、どうしてそれを彼が知っている?
 ぽんぽんと肩を叩く音がする。
「お前の腕は、年の割に出来すぎるんだよ。ちょっと親方に言われて、お前のこと調べさせてもらった。まぁ、お前の免許証、まだ本籍地載ってたし? 預かる上で、親御さんにも許可もらったらしいぞ」
 親了承済の家出ってどうなんだよ、もう……。
「お母さん心配してるってさ。半年以上、音信不通だろ? そろそろ一度帰ってあげなよ」
「でも、仕事……」
 このままでは、家に帰されてしまうと、抵抗してみる。
「大丈夫、お前のことをこっちから手放しはしないよ。まあ、実家から返却希望されたら、何にも言えないけどな」
「帰されるんですか!?」
「そうは言ってない。なんとなんと、じゃーん」
 手を止めた彼がポケットから出したもの。
「今度のお仕事は近畿の神社本殿の修復ですー」
 え、と驚いた顔をしたのを感じたのだろう。
「お前、北ばっかりの実績があるからって、ばれないと思って、うちの親方に弟子入りしただろ? 時々、南もあるんだぜ。日本各地どこでも仕事があれば、飛ぶぞ」
 俺も一度九州行ったことあるしなー、と気楽な感じで、俺の肩を抱く兄弟子。
「なぁ、堪忍しろよ。家出しても宮大工なんて、そうそうこの運命から、離れられないぜ」
 恨むんなら、俺じゃなくて、こんな修復必要な立派な建物建てた奴に言えよ、と抜かりない。
「昔のままの祭壇だったら、お前もこんなに苦しまなくてすんだかもしれないのにな」
 確かにそうだ。
 だけど、俺の人生は味気ないものになっていたかもしれない。
「――ありがとうございます。一度、帰って話してみます」
「ああ」
 短く返ってきた返事は暖かかった。
「そうと決まれば、この仕事もちゃっちゃと片づけてしまおうぜ」
 話はそれからだ、と手元にヤスリを引き寄せる兄弟子に習って、俺もヤスリを手に取った。
 

 END
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posted by 藤原湾 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 文庫◎題目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする