2018年04月30日

染まる

その手を見た途端、私はどうしようもなく魅入られてしまったのだ。
貴方の手に惚れた少女の顛末の物語。
テーマ「手」で執筆。


―――


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2009年01月25日

恵みの雨


恵みの雨


 狭い部屋に、煙草の煙が充満している。独特の匂いが室内を埋め尽くしていた。暗がりに人影がうっすらと見えるが、誰も言葉を発しない。じっとただみじろぎせずいるだけだ。どちらがそうさせるのか、息苦しくなってきた俺は、外に続くアルミの扉を開ける。その前のコンクリートの階段に腰を降ろし、胸から紙のパッケージに包まれた煙草を取り出した。シガレットケースなんて洒落たものは持ってない。空になったパッケージを潰して放り投げた。軽いそれは、風に吹かれて転がって行く。ぼんやりと目で追うと、それは小さな靴の前で止まった。大きな影がさしている。目線をあげると、黄色い傘を差した少女が立っていた。まだ小学校前だろう。その証拠に、肩にかけた鞄が幼稚園バックのように見えた。背中の中ほどまでの髪を二つのおさげにしている。普通の子どもだ。しかし、その中で異色だったものが気になった。
「……何で傘、さしてやがんだ」
 雨降ってねぇだろ、と続ける。
「これから雨が降るから」
 小さいけどはっきりした声。たがその内容に、顔をしかめた。雨、だと? 『日照り街』の異名を持つこの街に雨が降ると? そう考えると、ひとつしか浮かばなかった。
「……血、のか」
「血……?」
 首を傾げられた。余計なことを言った、と眉間にしわを寄せる。
 ヒテルマ。それがこの街の名だ。日照り街の異名どおり、雨はほとんど降らない。三年に一度降れば良い方だ。そんな街だからこそ、貴重な水を争い、人々は他人を押しのけようとする。
 その中で台頭してきたのが、俺らのような犯罪まがいのことも行うような徒党だ。血を血で洗うような抗争が続き、それが当たり前のようになっていた。
 だからか、彼女の不思議そうな表情を見て、ほぞを噛んだ。
 決行は今夜。そう決められた復讐は、組の先代の弔いだった。俺は魁を任されていた。
 今夜は血の雨をふらしてやろうぜ。そう新組長がかけた言葉は、組の者に火を付けた。――俺をのぞいて。
 嫌な予感がした。何となくだが。それは消えることなく、俺の心を蝕む。だからこそ、目の前の少女に苛立ちを覚えた。
「雨は恵み。恵みの雨」
 少女が小さく言った。傘の柄を掌でもてあそんでいる。詩のように、続ける。
「血の雨は、飢え。連鎖して、とどまることの知らない飢えの雨」
 ほらもうすぐ降るよ、と空を見上げた。それに従うように、顔を上げる。
「……降らねぇよ」
 からっと晴れた雲ひとつない空、というのはよく言ったものだ。文字通りの空があった。
「降るの」
 彼女は唇をかんだ。ひかないらしい。
「ああ、降る降る。そう言えば、いいんだろ」
 降参したように、煙草をくわえたまま、両手をあげると嬉しそうに彼女が言った。
「雨は降るよ」
 そのまま少女はきびすを返して、遠ざかる。俺の目に、黄色い傘が焼きついた。それを見ながら、一服と吸い込むと、煙を吐き出した。一瞬白く見えたそれはすぐさま空中に霧散する。
「……雨、か」
 俺が感じた嫌な予感はそれだったような気がしてならなかった。そのまま俺は立ち上がる。
「さぁて、どうするかな」
 雨が降るなら作戦を変更しないと、と冗談めかして呟いた独り言は、やけに真実味を帯びて耳に帰ってきた。


SECTION 2
 屋上は照り返しがきつかった。白くぼやけた向こうに、畑がある。母の好きな野菜をプランターで育てているのだ。ぼくは一日に一度、それを世話しに屋上に上がってくる。夜の仕事はある。だからそのために昼は寝ておくのが普通だ。でも、これを欠かすことは無かった。今日も同じように、階段を上ってやってきたのだが、その畑の横に人が立っているのを見て、足を止めた。
 その人は少女だった。結ぶことさえしていないストレートの髪の先が腰辺りで揺れている。背中には暗い赤のランドセルを背負っていて、それが小学生であるのを教えてくれた。恐らく学校指定の雨が降る気配すらないのに、黄色い傘をさしている。そのせいで表情は伺えない。
 ぼくは恐る恐るその辺りへと近づこうとする。すると彼女は気付いてこちらを見た。
「……あなたがこの植物を育てているの?」
「え、あ――」
 はいともいいえとも言う前に、慌ててぼくは畑に近寄った。そこに植わっていた植物は、しおれていたのだ。
「み、水っ」
 慌てて胸から取り出した飲料水のボトルのふたを開ける。それを傾けようとする手を掴まれた。傘の影がぼくの顔にかかる。やっと見えた表情は、悲しそうにゆがんでいた。
「……勿体無いわ」
「――もったいない、だって?」
 水を持ったまま、彼女に喰いかかる。
「この植物は、母に食べさせたいんだ。病気の進行を遅らせるのに」
 遅らせるのに必要なんだ、という続きは出なかった。母の病気は、大掛かりな手術をしないことには、良くならない。もし手術をしても死ぬまで付き合わなければいけない、そんな病気だった。入院先の先生に言われ、この野菜を育てている。ずっとそれを信じてやってきた。でも、口に出しかけると、それがとてもうそ臭く感じた。
「口に出しても、大丈夫よ?」
 信じていればそれは真実に聞こえるはず、と傘の少女が言う。ぼくは手を払って、うしろを向く。
 そうかもしれない。でも、ぼくは自分の言葉がうそ臭く感じたんだ。
「……君は何か信じているの?」
 聞いてみると、彼女は嬉しそうに答える。
「雨が降ることを」
 思わず笑いがもれた。このヒテルマで雨!? だが、雨が降ると信じている証のように、ぼくの目に黄色い傘が入ってきた。
「……本当に?」
「本当に、降るよ。今から」
 だから水は勿体無いから、と彼女が手にしたままの水にふたをした。
「じゃあ、もう私はもう行くから」
 ぼくを追い抜かして、彼女は屋上の扉を開けた。ぼくは水のボトルをじっと見つめた。本当に、雨が降るのだろうか。
 そのまま動けずにいると、ぽたと音がした。
「…………本当に?」
 雨粒が落ちてくる。次から次へと。
 彼女が言ったように、雨が降った。なら、信じていいんだろうか。
 ただ空を見上げて、ぼくは立ったまま雨を浴びていた。


SECTION 3
 男の足にまとわりつく。みっともないかもしれない、でもそうせずにはいられなかった。
 この男のために、あたしは働き続けた。このヒテルマで。なのに、この男はあたしを捨てるのだ。ホステスにまでなって、あたしが築いたものはなんだったのか。
 手の甲を踏んで去っていく男の背中をにらみつけた。こちらを振り向かず、その背中は遠ざかっていく。きらめくネオンが夜空の星代わりとなって、あたしの目に飛び込んでいく。
「……大丈夫ですか?」
 いきなり視界に入ってきた掌。細く白い掌をじっと見つめた。いま、あたしに声をかけたの? 男とあたししかいなかった世界に、いきなり入ってきた掌に戸惑ってしまう。
「大丈夫よ」
 手をとらず、立ち上がる。ひざ上の短いタイトスカートを叩いて、埃をはたく。そうしてみた掌の持ち主は、少女だった。中学生だ。紺色でセーラー襟のワンピースを着ている。あるお嬢様学校の制服。あたしとはえんもゆかりもない衣装。いや、この街自体と。
 ここはヒテルマ。昼は水をはさんで抗争する柄の悪い集団があちこちにしのび、夜は金持ちが妖艶な男女を相手に金を振舞う街。滅多に雨が降らず、皆が水を求めている街。
「本当に、大丈夫ですか?」
「大丈夫だってばっ!」
 いらいらとして少女の言葉に返す。ふと、黄色いものが目に入った。……傘?
「なんで、傘なんて差してるのよ」
 雨なんて、と言うと、彼女はにっこり笑った。
「だって、雨が降りますもの」
 そういってから、近くの縁石に腰掛けて、となりにあたしを呼ぶ。しぶしぶあたしは彼女の左に座った。彼女は傘をちょっと右に傾ける。あたしに当たらないよう、配慮したのだろう。そんな優しさを持ってる人も、この街にはいない。
「雨はいいですよね」
 笑いながらそう言う少女は嬉しそうだ。しかし、あたしは呆れ顔で言う。
「いやよ、雨なんて。ムシムシするし、髪の毛はまとまらないし、化粧のノリも悪くなるし」
「でも、凝りを流しますよ」
 意味が分からなくて、顔をしかめると伝わったらしい。
「街にたまった汚れは端々に固まっています。それを雨が流します。そうしてまた綺麗にして、一から始まるのですよ」
 だからなんだ、といらつく。あたしも昔の男となったあの人を流せ、ってか。
「心も一緒です。定期的に綺麗にしないと、こごってだめになりますよ」
「どうやって、雨を心に降らせるのよ」
 彼女はまたも、笑った。
「泣く、んですよ」
「……あたし、だめなのよ」
 泣けないの、と呟いた。あの男も、その前の男も。一生懸命頑張って引きとめようとしたけど、引き止められなかった。でも、出たのは悲しみではなく、憎しみの呪いの言葉。
 人が見てるから。この街で生きるなら、常に人の目があることを気にかけてなければいけない。
 伝わったのだろうか。彼女は嬉しそうに傘を揺らす。
「じゃあ、雨の日なら泣けるでしょう?」
「どうして?」
「――雨に混じっていくから」
 涙を流してるなんて分からないですよ、と言う彼女の顔を見つめた。
「…………そうね」
 じゃあ失礼します、と礼儀正しく頭を下げて少女は立ち上がる。あたしはその姿を見つめた、彼女も男と同じように去っていく。でもあたしの目には、彼女の傘の柔らかな色が入った。
 それが去っていくと、待っていたかのように雨が降り出した。慌てて道を歩いていた人たちは、屋根を求めて走り出す。その中で、あたしはふらふらと道の真ん中に出て空を見上げた。雨粒が顔に当たる。
 そのなかで、一筋瞳から流れたしずくがあったのを、あたし以外は知らないのだろう。


 ただいま、という声と共に、私は玄関へと向かった。彼女は黄色い傘を傘立てにさして、靴を脱いでいた。
「おかりなさい、お嬢様」
 お仕事はいかがでしたか、と聞くと、上手くいきましたと返ってきた。
「いい人に出会えました。あの街には、本当にいい人がいます」
 笑みを浮かべてから、暗い顔へと変化した。
「……でも、本当にその人たちに恵みの雨をさしあげることはできているのでしょうか」
「大丈夫ですよ」
 雨はいつも恵みなのですから、と私は笑ってお嬢様を部屋へと上げた。

SECTION END
 バーで酒を飲んでいると、弟分の青年が顔をだした。
「あれ兄貴、またそんな安いの飲んでるんですか?」
「うるせぇな……俺はこの酒が好きなんだよ」
 しかしお前なんで濡れてんだ、と言いながら、彼のコートを叩いた。
「いや、雨が降ってきたんですよ。ヒテルマなのに!!」
 どういうことですか、と言われ、またあいつが現れたんじゃねぇの返す。
「えー、兄貴信じてるんですか。あの噂」
 雨の降る前、傘を差した少女が現れて雨を予告する、と。
「まあな」
 あの女は今日も誰かのところに現れたんだろう。十五年前に現れた少女は、自分に雨を予告した。そのために計画変更を訴えたが、逆に計画からはずされてしまった。
 その結果、組の中で自分だけが生き残った。相討ちで向こうの組も、全滅したと言う。
 確かにあの雨は、自分の命を恵んでくれたのだ、と思った。
「じゃあ、行くか」
 空になったグラスを置いて、席を立った。
「雨やむまで待ちましょうよ〜」
「俺、傘持ってるから」
 入ってけ、と言って折りたたみの傘を広げた。そして、外へ出る。歩いていく途中、ある店の前を通った。
 その店には、一人の青年が花束を持って、頭を下げている。
「オーナーには本当にお世話になりました」
「本当に行くのか?」
「ナンバーワンホストが勿体無いな」
 微笑むオーナーの後ろから、口々に同僚のホストたちが言う。それにいいんだ、と返した。
「ぼくがもともとここでお世話になっていたのは、母のためですから」
 十年前彼の前に現れた少女が予告した雨は、彼自身が希望を保たせてくれた。そうして、この日を迎えられた。母が病気から程ほどに回復し、自宅療養が出来るまでになったのだ。
「これからどうするんだい?」
 オーナーが聞く。
「母の実家の田舎に行って、畑を作ろうって思ってます」
 それはいいかもね、と言われ、はいと笑う。
 そうしてもう一度頭を下げた。
「ありがとうございました」
 深く深く下げた背中の向こう、二人の少女が歩いていく。
 姦しいの言葉どおりに、高い声が響く。
「あーあ、雨か」
「ねぇ、どうしてママは雨の日休みにするのかしらね?」
「なんかまだクラブのママになる前のホステス時代に……たしか五年前。そう五年前にある女の子から言われたみたいよ? 雨の日は、吐き出しなさいって」
「吐き出す? なにそれ、汚い」
 くすっと笑った一人に、相手はそうじゃないってとさめたように返す。
「お客様の悩みとか鬱屈とか私らは相手することで貰ってるでしょ? それを流して綺麗にしてしまう日なんだって」
「どうして、それが雨の日?」
「さあ?」
 首をかしげた。まあいいかと言いながら、また違う話題へと移りながら、おしゃべりは続いていく。

 そうやって、五年に一度の雨の日は過ぎていく。


 雨の降る日を読み、それを告げる者がいる。これはそんな一人の少女の小さな物語である。

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2008年01月11日

ひとりぼっちのウサギさん


 ひとりぼっちのウサギさん



  あるところに、大きな森がありました。あまりに大きすぎるので、人間は近づきませんでした。そのかわり、この森にはたくさんのどうぶつが住んでいました。彼らはとても仲良しで楽しい毎日を送っていました。
 けれども、ウサギさんだけはちがいました。森のはずれの穴ぐらにひとりで住んでいるので、だれも訪ねてきてくれません。
 だから、さみしくてしょうがないウサギさんは、いつもいつも友だちがほしいと思っていました。

 今日もウサギさんはひとりでごはんを食べ、ひとりで遊びました。
 さみしくてさみしくてしかたがありません。
 穴の中で遊ぶのにあきたウサギさんは、外に出ることにしました。
 けれどもう太陽さんが山の向こうへ沈んでしまったあとだったので、外は真っ暗になっていました。きらきらと、お星さまも輝いています。
 そんな空の真中にまん丸いお月さまが見えました。
 それを見たとたん、ウサギさんは大きな声を出しました。
「お月さまにウサギがいる!」
 よくよく見てみれば、たしかにウサギのかげが見えます。
 友だちのいないウサギさんは、うれしくて仕方がありません。
 そのウサギさんは、じっと見ていても去っていったりしないので、ますますうれしくなって、毎日毎日月を眺めました。


 しばらくたったある日から、ウサギさんは見ているだけでは物足りなくなりました。
「見ているだけじゃなくて、一緒に遊びたいなぁ。」
 月のウサギは何かを大きく振り上げていました。それは、ウサギさんにとって見たことのない遊びに思えたのです。
「決めた! あのウサギに会いにいこう!」
 そうして、出かける準備をしたのです。


 ぴょん、ぴょん。
 ぴょん、ぴょん、ぴょん。
 ウサギさんは飛び跳ねて、森のまん中あたりの広場に向かっていました。そこなら広々としているからです。
 しばらくいくと、広場にでました。そこでは、木たちにじゃまされずに、お月さまがみえました。
「よぉし!」
 ウサギさんは、月にめがけて飛び跳ねます。そうです、ウサギさんんは飛び跳ねて月に行こうとしていたのです。
 しかし、どれほどはねても、月に届きません。悲しくなってしょんぼりと耳をたれました。
 そんなところに、ネズミさんが通りかかりました。ネズミさんはこの広場の近くに穴をほって住んでいます。
「森のはずれのウサギさんが、どうしてこんなところまで出てきたの?」
 ネズミさんに訊ねられたウサギさんは、話しました。
「月のウサギに会いに行こうと思ったんだ。でも、どんなに飛びはねても月に行けないんだ。」
 ネズミさんはふんふんとウサギさんの話を真剣に聞いてくれました。
「じゃあ、こうしたらどうかな? 木の上に登ってそこからジャンプするのは?」
 ウサギさんは、ネズミさんのすすめで、木に登ってジャンプしました。
 手を伸ばしてお月さまに乗ろうとがんばります。しかし、その手は届いてくれませんでした。
「無理だよ。ぼくは月にいけないんだ。」
 ぽろぽろと涙を流すウサギさんをネズミさんは優しく諭します。
「大丈夫、ウサギさんがあきらめなかったら、友達ができるんだよ!」
「そうかなぁ……」
 ウサギさんは顔を上げました。
「でも、どうすれば月へいけるかなぁ?」
「そうだ! はしごをつくって、それで月まで行けばいいんだよ!」
 ネズミさんはそうはげますと、ウサギさんは言いました。
「それは良い考えだ! ぼく、明日までにはしごを作ってくるよ!」
 ネズミさんと別れた後、ウサギさんは走り出します。ぴょんぴょん、足どりも軽く家へと帰りました。


 ぎぃこぎぃこ。とんてんかんてん。
 森のはずれから、いろんな音が聞こえてきます。そうです、ウサギさんがはしごを作っているのです。
「どれぐらい長かったら、月にいけるかなぁ?」
 考えてみましたが、分かりませんでした。
 結局、見上げると首が痛くなるぐらい高い木と同じぐらい長いはしごを十本つくりました。


 その夜、ウサギさんは野原へとはしごをもって行きました。
「さぁ、のぼるぞ!」
 いきおいをつけて、大きな木にたてかけたはしごをつぎつぎと上っていきます。
 よいしょ、よいしょ。
 大分上がってきましたが、まだまだのぼれます。ウサギさんはうれしくて、がんばってのぼっていきました。
 やがて一番はしごの上までのぼってきました。けれども、手をどんなに、いっしょうけんめいのばしても、月に届きません。
 そのころ、下からネズミさんが声をかけてきました。
「どうだい? 手は届いた?」
 大きな声で、返事をします。
「だめだよ! こんなに長いはしごだけど、月にはとどかないよ!」
 ためいきをついて、ウサギさんははしごをおります。それにつれて、だんだん月がとおくなっていきました。
「ウサギさん、元気をだしてよ。」
 しょんぼりしているウサギさんをネズミさんは励ましました。ウサギさんは、もう月には行けないんだと言います。
「大丈夫だよ、こっちから行けないなら、向こうから来てもらえばいい」
 その言葉に、ウサギさんはどうやって?と訊ねます。
「大声で月のウサギをよぶんだよ!」
 その方法は、とても言いように思えました。
「じゃあ、ぼくよんでみるね!」
 口を大きく開けていきをすいこみました。そして、口に手をあててさけびます。
「月のウサギさぁん! 聞こえますかぁ!?」
「月のウサギさぁん! 返事してください〜!」
「月のウサギさぁん! ……」
 空からは何の返事もかえってきません。
 しょんぼりしたウサギさんのよこで、ネズミさんはぽつりと言いました。
「……返事ないね」
「月が、きっと遠いんだよ。ぼくの声が聞こえないぐらい」
 少し欠け始めた月では、相変わらずウサギさんが何かを振り上げています。
 その前をすぅっと一羽のこうのとりさんが飛んでいきます。
 こうのとりさんは、郵便屋さんです。きっと、今日も手紙を届けているのでしょう。
 それを見たネズミさんが声をあげました。
「そうだ! ウサギさん、手紙を出してみたらどうかな?」
「手紙?」
「そう。それで、こうのとりさんに届けてもらえば良いんだよ」
 ウサギさんは、考えました。そうすれば、手紙のやりとりができる、と。
「じゃあぼく、明日手紙書いてくるから、ネズミさん見て?」
「え、ぼくが?」
 聞き返したネズミさんに、ウサギさんはうなずきました。
「じゃあ、また明日」
 ぴょんぴょん、はねてウサギさんは帰りました。


 大きな葉っぱをたくさん摘んできました。そこに、木の実の汁をつけた小枝で、手紙を書いていきます。
「えっと“月のウサギさんへ、はじめまして……」
 ウサギさんの手紙は、葉っぱ三枚分になりました。


 野原へ駆けていくと、すでにネズミさんがいました。じぃっと月を見ています。ウサギさんを待って、時々きょろきょろと周りをみています。その姿を見ていると、ふとウサギさんは気付きました。
 もうさみしくない、そのことに。
 どうして月に行く必要があるのでしょう、どうして月のウサギと仲良くなる必要があるのでしょう。
 よこにはもう、ネズミさんという友だちがいるのに。
 ウサギさんの目からは、ぽろぽろと涙がこぼれてきました。
 その泣き声でネズミさんは後ろを向きました。
「ウサギさん、どうしたの?」
 優しい声をかけてきてくれましたが、答えることができません。
 かわりに、ウサギさんは持ってきた月のウサギへの手紙を、びりびりとやぶきました。それは風に乗って空へと昇っていきます。
「それ、月のウサギさんに出す手紙じゃないの!? どうして、やぶいちゃうの?」
 その言葉に、ウサギさんは答えます。
「だって、もう必要ないんだ」
 不思議そうなネズミさんの顔を見つめて、言いました。
「ネズミさんという友達がいるから、ね」
 驚きを顔に浮かべたネズミさんはすぐ笑って言います。
「うん! 僕は、ウサギさんの友達だよ!」


 あるところに、大きな森がありました。あまりに大きすぎるので、人間は近づきませんでした。そのかわり、この森にはたくさんのどうぶつが住んでいました。彼らはとても仲良しで楽しい毎日を送っていました。
 森の外れに住むウサギさんも、今はネズミさんをはじめ、たくさんの友達ができて、楽しい毎日を送っています。


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2007年12月14日

鐘の鳴る街


 (かね)の鳴る街


 また、鐘が鳴った。
 わたしは調べを奏でていた手を止めて、窓から外を眺めた。
そこからは、高い塔の屋上に付けられた鐘が見える。先ほど鳴ったばかりだ。ゆらゆらとまだ揺らめいている。
 ピアノの鍵盤に置いていた手を、膝へと置きなおした。ため息を吐く。
「……仕事だわ」
「またか? 最近、よく鐘鳴らないか?」
 拗ねるようにそう言って近づいてきた男に、唇をよせた。
「そんなこと言わないで。亡くなった方に失礼よ」
 シンプルな白いドレスの上に、黒いカーディガンを羽織り、扉へと向う。
「じゃあ、行ってくるわね」
「ああ、夕飯つくって待ってる」
 肩を軽く抱きあってから、わたしは外へと出た。


 この街の中央には、大きな塔があり、その屋上にはこれまた大きな鐘がつけられている。それは死者が出るたび、鳴らされるのだ。一部の住人には“弔いの鐘”とも呼ばれている。
 わたしはその弔いの調べを奏でに、鐘が鳴るたびその塔へと向う。確たる宗教もないこの街では弔いには歌を歌う。そして火葬されるのだ。
 ――――というのは、表向きに過ぎない。
 確かに人が亡くなった時も鳴らされ、その時わたしはピアノを奏でるだけだ。
 けれど、この鐘は死者がいなくても鳴らされる。そのことを知る者はそうそういない。
 なぜなら、死者がすぐさま転がり出るからだ。
 そしてわたしはその鐘が鳴ると、死者を転がり出す仕事をしなければなくなるのだった。


 キィと音を立てて、塔の扉を開いた。中は薄暗い。けれど、遠くに白い服を着た男ともう一人だれかが立っているのが分かった。どう考えたって、今から葬儀を始める様子ではない。
 わたしはため息を吐いてから口を開いた。
「雇主(マスター)、次のお客様?」
「ああ、依頼だ」
 しゃがれた声が返ってくる。近づくと、もう一人のだれかが男だということが分かった。
「あの、本当にあいつを殺してもらえるのか?」
「――依頼を受けた限りは、精一杯仕事をするのが方針(ポリシー)ですわ」
 できるかぎりの甘い声。別人を装うのだ。正体を知られてはいけない。
 向こうはおそるおそる口を開いた。
「では」
 静かに告げられた名は、とても聞き覚えのある名だった。


 外は雨になっていた。その中を走った。白いドレスの裾が泥で茶色く染まろうとも、走った。走らずにはいられなかった。
 夕飯を用意して待ってる。そう言った彼の笑顔が浮かんでくる。
 あの人を失う。そう考えただけで、目から涙が落ちた。口の中にも忍び込み、塩辛さで存在を伝えた。
 そのまま部屋へと駆け込む。
「お帰り、葬儀の打ち合わせはもう終わったのかい?」
 優しくそう問いかけた彼に、わたしは抱きついた。そのまま唇を寄せる。
 彼はそれを受け止めてくれた。髪の毛をゆっくりとすいてくる。その湿った髪が天気を伝えた。
「雨が降ってるの? 無理して帰ってこなくてもよかったんだよ」
 だって、あなたが夕飯を用意して待ってるって言ってくれたから。
 その言葉を飲み込んで、違う言葉を吐いた。
「――逃げて。ここから、いますぐ、逃げて」
「え、どういう」
「詳しいことは言えない。でも逃げなくちゃ、あなたの命が」
 言葉を切った。かわりに頬に涙が伝った。彼は優しくその後を拭った。
「それは警告? それとも脅し?」
 前者だと伝えると、彼はわたしを上から下ろして立ち上がった。
「殺されるかもしれないから、君はぼくに逃げてほしいんだね?」
 一度だけ、首をたてに振った。
「……君と離れて生きよ、と?」
 かぶさるように抱きしめられる。なにも言えなかった。そのかわり、彼の背に回した手に、力を込めた。
「――――あなたが死ぬより、いいわ」
 ゆっくり吐いた言葉が、彼の手を背から肩へと移らせた。向かい合うかたちになる。
「分かった」
 肩からぬくもりが消えていく。彼はその手で、旅行鞄へと身の回りのものをつめた。
「じゃあ、いくよ」
 彼は振り返った。その顔を見て、涙がまたこぼれた。かけよって、塩辛く染まった唇を、彼のそれに近づける。やさしい感触があった。
 名残惜しげに、離れる。何巡もした後、冷たい息と共に口に出した。
「さよう、なら」
 彼はうなずいた。そのまま、方向を変え、出て行く。
 その小さくなっていく背中を見ながら、隠し持っていた短剣を取り出した。
 すでに鐘が鳴った。すなわち、明日には葬儀が行われる。そのために死体がなくてはいけない。
 いつもは誰かに向けるそれを、自分の胸に当てた。
「っ、ぐ……」
 そのままのめりこませる。苦しみの声がもれた。床に膝をつき、ついで身体全体が横たわった。
 木の板の床が、緋色に染まっていった。
 窓の外で、激しさを増した雨が、降り続いた。




 白い服を着た男――鐘守は、その庭にある墓地へ箒を持って入った。今の季節は、落ち葉が多い。毎日掃除を行わなければいけない。
 そう思いながら、ふとある男に目が行く。墓地は解放しているので、だれがいてもおかしくないのだが、その男が立っている場所が不自然だった。
 そこは、一人の女の墓の前だった。生まれたばかりの頃、鐘のある塔の前に捨てられ、鐘守が育てた女だった。長じてからは、裏の仕事も手伝わさせていた。それが数年前、ある仕事の日に自ら命を絶った。
 そんな彼女の墓参りに来る人間など、この街にはいないはずだった。実際、今まで一度もなかった。
 視線を感じたのか、こちらを振り向いた。しゃがれた声であいさつをしたが、彼は頭を少し下げただけだった。
 そのかわり、口を開いた。
「ここの鐘守の方ですね?」
 そうじゃが、と返すと、その表情が冷たくなった。笑みを浮かべている。だけど、背筋が粟立つのを覚えた。
 彼は言う。
「彼女を殺した人(ぼくを殺すよう依頼した人)は、だれですか?」
 鐘守は、感じた。

 ああ、また鐘が鳴る。


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2007年08月27日

彼方の記憶


彼方(あなた)の記憶



 夏の陽射しが柔らかさをまとい始めた頃。代わり映えのしない道を通って、わたしは佑布(ゆう) とともに久しぶりの学校へと向かう。突然ふわり、と風がふいて、帽子を飛ばしていく。それは、道路を駆けていった。
「……あぁ、やっちゃった」
「今日、風強いよね。私、取ってくる」
 いいよ後で自分で取りに行く、と言ったわたしに、あんた運動神経鈍いでしょう?と返される。
「でも、危ないよ!」
 その間にも、帽子は車の間をぬって遠ざかっていく。それを見ながら、佑布は笑った。
「大丈夫だよ、深緒(みお)。ちょっと持ってて」
 わたしの返事も待たず、鞄を押しつけられた。それから器用に道路を渡っていく。転がり続ける帽子を掴むと、それを自慢気に振った。
「ほら、大丈夫だったでしょ?」
「分かったから、早く帰ってきて!」
 手招きすると、うなずいてこちらへ渡ってこようと足を踏みだした。
「……! 佑布、トラック!」
 右側から猛スピードで進んでくるトラックが見えて、わたしは叫ぶ。けれど、それがいけなかった。
 彼女は、きょとんとした顔で立ち止まった。すぐさまプ――というクラクションの音と、キキィ――という止まりきれないブレーキの音が響く。ついで、二度鈍い音が聞こえた。弧を描いた佑布の身体は、無情にも歩道へと叩きつけられる。
 わたしはその場にへたりこんだ。目は道路の方へ向けられたままだ。今、見たことが信じられなかった。
 遠くから救急車の音が近づいてくるのが分かった。ざわめきも聞こえる。そう考えながらも、わたしは意識を手放した。


 目を開くと、白い壁――いや、天井が見えた。身体を起こすと、見覚えのあるパイプのベッドに寝かされていたことが分かった。。
「……保健室?」
「そう。君は道で倒れていたからね。とりあえず、意識が戻るまではここに寝てもらっていたんだよ」
 カーテンをあけて、保健医が入ってくる。彼女は手に湯飲みを持っている。
「まず、お茶でも飲んで落ち着いて。それから、話をしよう」
 差し出されたお茶を受け取って、ずずっとすする。温かいそれは、身体に染み込んでいった。
「さて、君のお友達のことだけどね」
「っ、佑布ですか? 彼女は……」
「生きてるよ。まだ意識は戻ってないみたいだけど、危険な時期は脱したって。数日後、一般病棟に移る予定らしいから、そうなったらお見舞いに行くといいよ」
 その言葉にうなずく。言われなくても、そうするつもりだ。彼女はわたしのその態度をみて、一度カーテンの外へ出て行く。それから、紙を持ってきてつきつけられた。“早退届”と書かれている。
「だから、今日は帰りなさい。ゆっくり休んで明日笑えるようにすること」
 その言葉に、素直にまたうなずいた。


 右手には花束、左手にケーキ。
 チンとベルの音がして、病院のエレベータの扉が開く。手にいっぱいの荷物をぶつけないようにしながら外へ出た。
「えっと、三三二は……」
 掲示板で、あらかじめ聞いていた部屋番号を探す。しかし、歩き始める前に後ろから声をかけられた。
「佑布のおばさん……?」
 前に会った時よりやややつれた顔をしていたけれど、間違えるはずがない。
「深緒さん? もしかして、佑布にお見舞いかしら?」
 首を縦に振って訊ねる。
「えっと、佑布……渡部さんはどんな感じですか?」
 おばさんは、ええ大丈夫と答えた後、ただ……と続けた。
「ちょっと、問題があってね」
 言いよどむその態度に、疑問を感じながら、先をうながしてみると、しばらくして口を開いた。
「……あの子ね、いろいろ記憶が抜けているみたいなの」


 病室の扉を開けると、数日前と変わらない表情の彼女がこちらを向いた。意外と元気そうだ。ただ頭に巻かれた包帯の白さが目に眩しい。
 どんな表情をしていいか分からず、とりあえずぎこちない笑みを向けた。それに笑みを返してくれながら、彼女はおばさんに声をかける。
「えっと……お母さん。その子は誰?」
 途端、顔から表情がなくなるのを感じた。すぅっと冷たい汗が背を伝う。
 想像していた。
 でも、期待もしていた。覚えてくれてるんじゃないか、と。
 けれども発せられた言葉は、それを打ち壊すものだった。
 とても仲良しだった相手が自分を忘れてるなんてこと、こんなにつらいと思わなかったんだ。
 おばさんは、わたしの肩をぽんぽんっと叩いてくれた。
「あなたの高校の友達の柚原深緒さん。お見舞いに来てくれたの」
「深緒です、こんにちは」
 それでも挨拶は難なく出来た。おばさんは花とケーキをわたしから受け取って部屋を出ていく。その後ろ姿を見ていると、声をかけられた。
「そこ、座って」
 指差されたベッドの傍らに置かれた椅子に座る。すると、彼女の顔がちょうど目の前に来るようになった。彼女は微笑んで、呟く。
「深緒さんね? 綺麗な名前……」
 ドキリ、とした。
 高校ではじめて会った時も、同じ言葉で名前を誉めてくれた。
 そうだよ。彼女は佑布なのだから、同じ言葉を口にしてもいいはず。
 それでも正直、戸惑いが隠せない。
 さっき誰?と聞いてきたのは、わたしが知ってる佑布じゃなかった。わたしを知らない佑布なのだ。
「あ、ありがとう」
 ふふふ……と笑って、彼女はどういたしましてと答える。
「それよりも、ショックでしょ? 私にあなたの記憶がないだなんて」
「……正直言うと大分そう。でも、今は生きててくれて良かったと思う」
 半分本心。でも半分は嘘。
 記憶のない佑布にどう接すればいいのか全く分からない。その戸惑いが言葉の半分を嘘にしている。
 わずかに胸の奥で、こんな状態なら……なんて、思ってしまう自分がいる。
 そのマイナスな思いが浮かび上がってくるたびに、激しい罪悪感と戸惑いに悩まされる。
 でもそんなわたしの思いも知らず、良かったと彼女は呟いた。
 しばらくするとおばさんが戻ってきて、わたしからのケーキを皿に移してくれた。それをほおばりながら、他愛もない話をして時間をすごす。
「あの、面会時間そろそろおわりですけど……」
 扉のところから顔を覗かせた看護婦さんが、遠慮がちに言う。それを受けて、わたしは立ち上がった。
「それじゃあ……」
「ねぇ」
 服の裾を掴まれた。先ほどの笑みは消え、真面目な顔をしていた。
「ねぇ、また来てくれる?」
 一瞬、返事が返せなかった。
 佑布にまた会いに来る。ただそれだけの約束がすぐできない。
 彼女はわたしを知ってる佑布じゃない。そのことが胸に引っかかってしまってる。
 弱々しくゆっくりと、わたしは言葉を吐き出した。
「……うん。またね」
 途端、ほっとした顔がのぞく。再び笑みを浮かべ、手をふられた。
「またね」


 帰り道、自転車をめいいっぱいこいだ。ふと見あげた長い階段を上る。それから、丘の上の公園に入っていった。自動販売機でジュースを買って一気飲みする。
「はぁ……」
 長いため息をひとつ吐く。途端に、身体から力が抜けていくように感じた。そして、マイナスな思いがふわりと浮かぶ。
 わたしがお見舞いに行ったのは、友達の佑布。それでいて、わたしを知らない佑布。
 今までのように接することも、邪険に扱うこともわたしにはできない。どう接すればいいのか分からない。
 自己紹介して、彼女と距離を感じて。
 名前を誉められたことで、佑布だと思って。
 結論が出ないまま、ぐるぐると頭の中を巡る思い。
 考えるのも疲れて、顔をあげる。夕焼けに染まる空と町並みが目に入った。
 ――ねぇ、深緒。こんな綺麗な風景見ちゃったら、もう悩みなんて吹っ飛んじゃうよね?――
 いつかそう佑布は言っていた。だから、自分は落ち込んだら、ここに来るのだと。
「……無理だよ、佑布。吹っ飛んでいかないよ」
 わたしは目を細めて、自嘲的に笑った。
 それから、風景を見るのをやめて諦めとともに丘を下りた。


 数日後、また彼女を訪ねた。
「……こんにちは」
 そうっと顔を覗かせると、本から目線を外してこちらを向いた。ぱぁっと表情が明るくなる。
「来てくれたんだ、ありがとう! 深緒さんは優しいね」
 そんなことない。
 まだ接し方を迷ってる。約束だから、とりあえず来ただけだ。
 そのことを隠すように、笑顔を浮かべて手元を覗き込んだ。
「何、読んでいたの?」
「えっとね……」
 本屋でつけてもらうような紙製のカバーを外して、表紙を見せる。
「っ!」
 驚いた。
 前に彼女が好きだと言っていた、まさにその本。
 ごくり、と喉を鳴らした。
「面白い?」
「面白いよ。主人公がとっても可愛いくって! 深緒さんも読んでみる?」
 ――この本ね、主人公がとっても可愛いの! 絶対、深緒もはまるって!――
 これは、偶然の一致? それとも、必然? 自分に問いかけてみるけど、答えは得られない。
「うん、また貸してくれる?」
「いいよ。今私読み終わったところだから」
 はいっと手渡された本を鞄の中に入れた。ことん、と音がする。目でそれを追っていた彼女は、鞄にぶら下げられていたストラップに手をのばした。
「あっ、それ可愛いね」
 デフォルメされた羊のヌイグルミが先っぽで揺れている。首元には赤いリボンが結ばれていた。
「――あげるよ」
 なれた手つきでそれを外すと、目の高さに掲げた。ふらふらと首を傾げるように羊は揺れた。
「いいの? ありがとう」
 ―それ、可愛いね。私も買おうかなぁ―
 ―あげるよ。わたし、もうひとつあるの―
 ―本当? ありがとう―
 ちょっと前に交わした会話が浮かぶ。結局、あげずじまいだったけど。
「ここにぶらさげておくね」
 えへへと笑いながら、パイプのベッドに結び付ける。
 以前と同じように接するべきなのか、どうなのか。
 今日も、散りばめられていた佑布と重なることを思い返して、また自分に問いかけた。
 記憶なんて、関係ない? そんなことない。
 だから、やっぱり分からない。
 パイプ椅子から立ち上がって、手をゆっくり振った。
「今日はこれぐらいで。バイバイ」
 すると、いつもと変わらない笑顔で言われた。
「またね」


 それは木曜日の夕方だった。
 わたしはいつもどおり、病院に寄って佑布と他愛ない話をしていた。
「え? もう、退院できるの?」
「うん! 明日退院して、月曜には学校にも行っていいって」
 嬉しそうに笑っている。
 対して、わたしは戸惑っていた。
 学校に来る。そうすれば、関わる時間も長くなる。
 ちゃんとわたしは彼女と向き合っていけるのだろうか。
「ねぇ、深緒さん」
 いきなり近づいてきた顔に驚く。
「お願いがあるの」
 どくん、どくん。
 なんだか、嫌な予感がした。
「私のこと、佑布って呼んでいいから“深緒”って呼ばせて?」
 どくん。
 心臓の音がやけに大きく聞こえた。
 沈黙のなか、わたしは少しの間息をするのを忘れていた。
 だから息を吸った途端、言ってはいけない言葉が溢れ出す。
「っ、だめ! あなたは、深緒なんて呼ばないで!」
 あなたは、佑布ではないから。
 わたしの親友の佑布じゃないから。
 迷いの答えは、こんな形で与えられてしまった。
 途端に彼女の表情が曇る。次の言葉が、でない。
 ぎゅっと拳を握った。顔を背けた。どうしても彼女の顔はもう見れなかった。
「バイバイ……」
 背をむけて病室から飛び出す。
 いつも続く「またね」はいつまでたっても聞こえてこなかった。


 言ってしまった。
 めいいっぱい、傷つけてしまった。
 築きはじめられた関係は、崩れてしまった。

 もう、戻れない。

 
 それでも謝ることだけは、したかった。
 これ以上彼女を傷つけたままにはしたくなかった。
 退院の祝いと前日のお詫びに、花束とケーキ。奇しくも、最初のお見舞いと一緒で笑ってしまう。
 あの時はこうなるなんて思ってなかったはず。
 わたしは自嘲的な笑みを浮かべながら、病室へと向った。
 入口で困ったようにうろうろとするおばさんを見つけて、近寄る。
「あの……どうしたんですか?」
「深緒さんっ、佑布の行きそうな場所を知りませんか!?」
 いきなりの飛び掛かるようにしての質問に、うろたえる。
「もしかして……」
 病室のなかに目を向けた。
 そこには綺麗に整えられたベッドがある。けれど、そこに横たわっているはずの病人が姿を消していた。
「佑布がどこかへ行ってしまったの」
 後ろからおばさんがそう呟いた。
 わたしのせいだ。
 昨日、あんな拒否したから。
「……ごめんなさい。探してきます」
 ベッドの上に、花束とケーキを置いて、外へ飛び出す。彼女の行きそうなところを自転車で走ってみるつもりだった。
 でも、彼女の行きそうなところなんて知らない。
 だからぐるぐると町内をめぐるだけで、いっこうに彼女を見つけることができなかった。


 ふと、空を見上げる。赤く染まった空に羊雲がただよっている。あの羊もベッドから消えていた。やはり捨てたのだろうか。
 自転車を降りて、ゆっくり辺りを見回す。ふと、目の端に長く続く階段が映った。
「まさか、ね……」
 佑布なら、何か悩みがある時、必ずここに来る。
 でも今の彼女だったら、分からない。
 分からないけど。
「行ってみよう」
 自転車のスタンドを下ろして、その階段を上り始めた。

 はぁはぁと息をついて、丘の上の公園に入った。何もかも赤く染められているなかに、彼女は佇んでいた。
 その後ろ姿がいつかの彼女と重なった。
 ややうつむいた頬にかかる髪も、落ち込んでいるときばかりは猫背になるその背中も。
 なにもかもが、同じだった。
「……ちがう」
 そこには、佑布が立っているのだ。
 紛れもなく佑布が。
 他の誰でもなく、親友の佑布……。
 一粒、涙が零れ落ちた。つぅと頬を伝っていく。その間も瞬きせずに祐布の背中を見つめていた。
 わたしは今まで彼女を違う人格として、接するかどうか迷ってきた。だから、祐布と同じことをする彼女に戸惑いを隠せなかった。
 でも、それは間違っていた。彼女自身が、佑布なのだから、同じことをするのは当たり前のことだ。
 何を悩むことがあっただろうか。
 今までのように付き合っていけばいいんだ。
 だから、赤く染められた背中に、こう声を投げかけた。
「佑布」
 ばっと振り向いた彼女――佑布は、悲しそうな笑みを浮かべた。
「……深緒さん」
「ごめん」
 間髪入れず頭を下げる。深く、深く。
「わたし今まであなたを以前の佑布と違うんじゃないか、なら今まで通り接しては駄目なのだろうって考えてた。あなたは、もうわたしの友達の佑布じゃない。そう思ってしまった。でも、違った。あなたは佑布自身であって、他の何者でもない」
 ぽんっと手を肩に置かれた。構わず続ける。
「本当にごめん。昨日あなたを拒否してしまった。不安なはずの佑布を」
「ねぇ、深緒さん」
 遮るように話かけられ、顔を上げる。
「それでも、わたしは記憶がないよ。今までのことを少しも覚えてないよ。そんな佑布でもあなたは受け入れてくれる?」
「受け入れるよ。たとえ、記憶がなくたってまた新しい思い出を作っていけばいいし、今までのことはわたしが教えてあげる」
 今度は、即答できた。
 前みたいに迷わなかった。
「ありがとう。ねぇ、お願いがあるの」
 その言葉に昨日みたいな嫌な予感はもうなかった。
「何?」
「私のこと、佑布って呼んでいいから“深緒”って呼ばせて?」
 佑布は笑っていた。
 だから、わたしも笑って答えた。
「いいよ、佑布」

 佑布といっしょに病院へ戻ると、心配のあまり目を赤くはらしたおばさんが駆け寄ってきた。
「ありがとう、深緒さん。さすが友達ね」
 そんな言葉に一瞬驚いたけど、すぐ笑みを浮かべれた。
「そうね、友達だから」
 祐布はその横で笑って、羊のストラップを振った。
「じゃあこれは、友達の証ってことね?」
 捨てられたと思っていたそれを見て、わたしは嬉しさに満面の笑みを浮かべた。

 佑布は校門の前でふと立ち止まった。
「緊張する……」
「大丈夫だよ」
 ぽんとわたしが後ろから背中を押す。
「わたしがいるじゃない」
 その言葉で、ほっとしたような笑みが浮かんだ。
「そうだね。私の記憶はかなたに行ってしまったけど、あなたの記憶を分けてもらえばいいものね」
 その言葉に二人で笑いあう。
 そうだよ、わたしがいるから大丈夫だよ。
 鞄についたお揃いの羊は、それを主張するようにふらふらとゆれたのだった。


posted by 藤原湾 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 文庫◎読切 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする